さあこれからいろいろな作品作って勉強するぞ!と思った矢先でなんですが、早くも就職活動が本格化して身動きが取れないchamです。今日は自分自身の考えと気持ちの整理という意味も含めて就職に対する考えについて書こうと思います。なお、以下に述べる事柄はあくまで私chamの価値観による考えであり、この考え方を勧める訳ではありません。自意識過剰だとは思っているのですが、万一採用担当の方が見てらっしゃるとマズいようなやましい事もちょっとあって、書くかどうか迷ったんですけど、バレたら仕方ないなという程度で書きます笑
そもそも就職活動って義務じゃないんです。これって当たり前なんですけど、意外と忘れている人って多いと思うんです。かく言う私も3ヶ月前はなんとなく「そういう時期だから」とか「皆もやってるし」とかそういう明確な理由の無い義務感で始めました。あるいは「いつまでも親の脛齧っていられないし、そろそろ自立しなきゃ」って考えもあります。でもその考えって消極的ですよね。少なくともそれは他人を就活の拠り所としているのであって、100%純粋な自分自身の意思ではないですよね。
極端な例で言い方も悪いとは思いますが、もし両親が今死んだら?もしくは無償で自分を扶養してくれる人などいなかったら?「普通の学生」の中に混じって就活して働く理由はどこにありますか?生きていくため?生きるだけなら立派な会社に入ろうとしなくてもいいんです。フリーターでもいいし自給自足でも風俗でもなんでも生きていく道はあります。ひょっとしたらそれは就活するより簡単で効率的な道かもしれないんです。
私は今では正直な所、ダメなら今は就職できなくてもいいと思っています(養ってもらっている親には申し訳ないのですが)。私はやりたい事を実現するために働きたいと思います。しかし、実際に就活をしてみると意外と自分のやりたい事が分からなくて会社選びの時点で躓いてしまいました。周りでよく見聞きする就活情報の多くには「自己分析で自分の適性ややりたい事が分かる」なんて言われていますが、ちょっとやそっとで一生の事を決めることなんて、と思いました。しかも更によく見てみると、挙句の果てに「やりたい事なんて働き出してからも変わる」なんて書かれています。それはそうでしょうけど、時代や環境の変化による影響を除けば、それって結局昔考えていた「やりたい事」が「本当にやりたい事じゃなかった」っていう事ですよね。
場当たり的に決める進路って不安だと思います。自分でどこに向かっているのかが分からないんです。そんな状況で何を頑張ると言うんでしょう。そもそも「なんとなくこの仕事に興味がある」くらいでは大抵は雇ってもらえないし、ミスマッチなどの理由で満足な結果にはならないでしょう。そう考えると採用担当の方って私達の味方だと思えるんです。経験豊富な社会人がその人に合っている職場かどうかを真剣に見てくれるわけですから。適した職場を探してまではくれないですけどね苦笑
だから私はこの就活を自分の将来の方向性を考える事と「就活」するには自分はどうあるべきなのかを考える事に重点を置いて行うことにし、大学院進学を視野に入れることにしました。そうすることで周りの学生よりは出遅れてしまいましたが打算的に進路を決めずに済みそうで、現状には納得できています。とはいえ、やはり就活するからには、働きたいと思う会社に絞って受験しています。モチベーションは必要ですから。英語は今のうちから学びつつ、もし春先までに内定が出なかったらすぐに院試対策に切り替え、学部では十分に出来なかった研究を通して専門知識や技術を身に付けたり、もっと業界の事をリサーチしておいて満を持して就職したいと思います。
考えてみれば、私は昔からメディアと人間の関わり方やメディアを通じたコミュニケーションに強く興味関心を抱いていました。きっかけと言えるかは分かりませんが、私が中学生の頃、佐世保小6女児同級生殺害事件、高校生の時には秋葉原通り魔事件が起こりました。これらの事件はいずれもインターネット上のコミュニケーションが引き金になって起こったと言われてきました。果たしてインターネットがどれほど事件の要因となったか私には分かりません。しかし、これらのショッキングな事件の他にもSNSやネトゲの依存、荒らし、晒し、誹謗中傷などなどメディアのコンテンツ上で起こるトラブルは沢山あるわけです。思えば私達はメディアから様々な情報を得て生活するようになりました。それなのに、もしメディア側に存在する問題によってユーザが不利益を被るのであれば、それは由々しき事態です。
それとは別で、私はクリエイティブ職に憧れを持っていました。世に次々と生み出されていく作品の素晴らしさに感動したからです。元々絵を描く事は好きでしたし、文化系の授業・部活・サークルには人一倍取り組んできました。ですが、生み出される作品が誰かに望まれたもの、あるいは喜ばれるものでなければ自己満足に過ぎないんだとも考えていました。
この2つの経験から私は人々が安心でき、喜んでもらえるコンテンツをデザインできる人間になりたいと思い、今の大学に進学しました。しかし、大学でデザインの勉強や技術を1から10まで教えてもらえると思っていた私は甘かったのです。大学は高校までと違って、自主的に学問するところです。問題に対する正解は一つではないし、技術も自分で何かを作ってみなければなかなか身には付きませんでした。さらにもう一つ私の考えが甘かった点と言えば、私の考える理想って具体的にはどうすれば実現できるのか、よく考えていなかったことです。デザインといっても何をデザインするのか。私の興味ある分野が研究分野で言うと「情報・メディア・コミュニケーション」という名前であることまでは分かりましたが、広告・映画・アニメーション・ゲーム・音楽・web・演劇etc…と、この分野は非常に広い幅に関係している訳です。デザインやクリエイティブの仕事をするには必ずいずれかの専門分野を選択しなければなりません。しかしそれを決めるには判断材料が不足していました。どれも経験したことがない。そこで、学部の時間がある時にとにかくいろいろ経験してみようと考え、インスタレーション制作・広告デザイン・アニメーション制作・イベント(展示会)企画・webなどを本当に少しずつですが経験してみました。その上で、オールマイティな技術者になりたいという願望を持ちつつも、まずはどこかに特化すべきと考え、webコンテンツ・アプリケーションに絞りました。
就職に関しては、本来クリエイティブの現場で働きたいなと思っていましたが、如何せん現状では専門学校生と比べると圧倒的に技術不足で、作品を作った経験も殆どありません。そして夏のインターンシップとセミナーが決定的でした。地元の小さな広告デザイン制作会社でインターンシップに参加させていただいたのですが、私が行った制作の現場は基本的に下請けで、企画の提案の仕事はほぼ皆無。しかし作業量は非常に多く殆どの時間はMacに向かいDTP作業を淡々とこなすのみ。勿論それだけが仕事の全てではありませんし、アートディレクターなどの方々の多くも、そのような下積みというか、キャリアを積んでこられたからこそご活躍されていますし、私自身もそういう作業はノッてくると楽しくできるとは思うですが、仮に一生をかけてその仕事を続けるのかと思うとゾッとしました。本当にこれをやりたいのか?と。その直後にセミナーを通じて東京にオフィスを構える大手会社のデザイン部署などの仕事を見せてもらったりして、そこから次第にモノづくりの上流工程におけるデザインに目が行きました。肩書きで言うと恐らくSIer、ディレクター、監督あたりですね。また、最近ではデザイナーとエンジニアの垣根も徐々になくなりつつあるというお話をよく聞くようになりました。最近読んでいる本では、デザイナーもFlashくらい使えて、エンジニアもPhotoshopでバナーくらい作れる方が、その人自身のためにもなるとも書かれていました。つまり、1つだけできてもダメな時代がまもなくやってくるそうなんです。そこで、むしろこの状況をチャンスだと感じ、企画・提案・デザインにも口を突っ込めるけどちゃんと技術も分かる・作れるエンジニアを目指すことにしました。
このように方向性を決めると、例え行き当たりばったりでも自分がどの方向性に進んでいるのかが分かるので、いらぬ心配はしなくて済みそうな気がしてきました。「やりたい事=方向性(本意)に即した活動」がやっとできるような気がしました。周囲に流されて後悔しないためにも、私は今後も自分の事は自分で考えて行動するようにしたいですね。